邦楽実演家団体連絡会議

 ≪邦楽のさまざま≫ 

ーーーーー邦楽のさまざまについて邦楽研究家の谷垣内和子さんに解説いただきました。ーーーーー

 

 日本では、古代に成立した雅楽(ががく)・声明(しょうみょう)から江戸時代の箏・三味線の音楽に至るまで、生まれも育ちも異なる多種多彩な音楽が層をなして共存し、今なお生き続けています。世界でも珍しいほど豊かな芸能の宝庫です。そのなかにはアジア起源の楽器も少なくありません。けれどもそれらが「日本の伝統」と認識される理由は、単なるモノの移入や転用ではなく、日本的な美意識に従って楽器の改良や音楽づくりが行われたからに他なりません。

江戸時代以後に生まれた音楽を「邦楽」と総称することがあります。ほとんどは声を生かした音楽です。 いかに日本人が言葉と声に魅力を感じ、表現の可能性を追求してきたかを物語っています。声を支えるために撥弦楽器(弦をはじいて音を出す楽器)が発達したことが特色です。

ここでは以下に、邦楽の主なジャンルについて、簡単にご紹介します。

三味線音楽いろいろ

今からおよそ450年前、中国から沖縄を経由して日本に入ってきた外来楽器です。それまで琵琶の弾き語りを専門としていた琵琶法師たちのアイディアによって改良され、新しい音楽や表現法が工夫されて、あっという間に全国的に大ブレイクしました。邦楽の大半は三味線とともに発達したと言って過言ではありません。

やや四角い太鼓ふうの胴体を長いネックが貫き、その上に張った3本の糸を撥ではじく演奏スタイルは、リズムを刻み、声を彩り、日本人の心に響く自然を映し出す仕掛け。歌舞伎や文楽から各地の民謡に至るまで、さまざまな音楽シーンを彩る楽器として欠くことができません。今日のギターに近い存在です。斜めに構えて、左手で弦を押さえて、右手で弦をはじいて音を出すスタイルもよく似ていますし、歌の伴奏に愛好されているところもそっくりです。歌の切れ目では、楽器のテクニックを最高に聞かせる見せ場があるところも一緒です。ちょっと違うところは、3本の弦しかなくて、右手に持ったおしゃもじのような形の撥(ばち)という道具で弦をはじいて音を出すところと、ネックにはポジションを示すフレットがない点でしょうか。そのために弦の上をスライドさせて音を出すのも、ギターよりもずっと得意です。

重厚な音を得意とする三味線、軽やかでよく響く音を持ち味とする三味線、しっとりと優美な響きを特色とする三味線-。芸能によって必要とされた音の表現が違ったので、色んな種類の三味線が工夫されました。ちょっとずつ性格が違う兄弟姉妹がたくさんいる楽器と言えそうです。

長唄(ながうた)

能楽とともに日本で最初にユネスコの無形文化遺産に登録された歌舞伎。その上演になくてはならない音楽が長唄です。役者のセリフや演技に、舞踊と音楽の要素が混然一体となった音楽舞踊劇である歌舞伎のなかで、舞踊の伴奏はもちろん、お芝居の進行に合わせて情景や心理描写などを効果的に演出するシーンで存在感を発揮します。舞台上に並んで演奏する出囃子(でばやし)から、姿を見せずに黒御簾(くろみす・舞台の下手にある黒い板で囲まれた小さな部屋)のなかで演奏する蔭囃子(かげばやし)まで、演奏形態もさまざまです。

マイクがない時代に、大きな劇場の隅から隅まで音を届かせるために、三味線は棹の細いタイプのものを用い、軽やかで、よく響く音色を追求してきました。音量を増すためには大人数での演奏も必要で、複数の三味線と唄に、笛・太鼓(たいこ)・小鼓(こつづみ)・大鼓(おおつづみ、おおかわ)その他の囃子の鳴物(なりもの)が加わって、にぎやかに舞台を盛り上げます。幕末以降は歌舞伎の舞台を離れ、純粋に音楽として楽しむ作品(お座敷長唄)も数多く誕生。三味線音楽のなかでも最も人気の高いジャンルの一つです。

義太夫節(ぎだゆうぶし)

2003年にユネスコの無形文化遺産に登録された「人形浄瑠璃文楽(にんぎょうじょうるりぶんらく)」の音楽として知られます。義太夫節の名は、17世紀後半に大阪で竹本義太夫(たけもとぎだゆう・1651~1714)が語り始めた浄瑠璃(じょうるり・ドラマのストーリーやセリフを三味線の伴奏で語る音楽)に由来します。あらゆる三味線の中でも最も棹が太く、重い胴、撥も厚みのあるものを用い、ダイナミックな迫力のある響きが聴く人の心を直撃します。泣き、笑い、怒り、声の限りを駆使してストーリーを語る太夫(たゆう・語り手)と三味線弾きとが一体になって、さまざまな人間ドラマを描き出します。

人形芝居での義太夫語りは男性専門家たちが担ってきましたが、とくに近代以降、寄席などで女性たちが義太夫節を上演するケースが生じ、「女流義太夫」「女義(じょぎ)」などと称して大流行しました。その流れから義太夫を「素浄瑠璃(すじょうるり)」(演奏だけを楽しむやり方)として行う専門家たちが現れました。

なお、江戸時代以来、人形浄瑠璃の芝居として人気を博した演目は、歌舞伎のレパートリーにも取り入れられました。その際に、すべてを太夫が語る人形芝居に対して、歌舞伎では役者がセリフを担い、それ以外を担当する「竹本(たけもと)」という役割が生まれて、その伝統は現在に受け継がれています。

常磐津節(ときわずぶし)

宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の門人の常磐津文字太夫(ときわずもじたゆう・1709~1781)が、1747年に江戸で創始した浄瑠璃で、とくにシリアスな歌舞伎舞踊劇の伴奏音楽として力を発揮してきました。そのために江戸前の義太夫節と称されることも少なくありません。硬派・正統派の性格が色濃く、リズムやテンポも極端な変化を加えず、写実的なセリフ、コトバの抑揚を活かした発声法にも自然な趣があります。三味線の棹は義太夫節よりも細く、長唄よりも太い中間の太さのもの(中棹・ちゅうざお)を用います。歌舞伎の舞台に「出語り」として出演する際は、二丁三枚(にちょうさんまい)から三丁三枚または四枚程度(丁は三味線方・枚は太夫の人数の数え方)が標準的で、太夫の声の違いで役柄を分担したり、全員で一斉に語ることで語りの表現に変化を付けます。

新内節(しんないぶし)

18世紀半ばに江戸で誕生した浄瑠璃の一つ。宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の孫弟子に当たる鶴賀若狭(つるがわかさ)改め鶴賀新内(つるがしんない)に始まります。主として心中事件を脚色し、クドキ(主人公等が切々と思いを語りあげる場所、オペラなどのアリアに匹敵)に扇情的な曲節を工夫して、座敷浄瑠璃の領域で新境地を拓きました。舞台から離れたことが、高音と低音が交錯するような声の技巧を発達させたといえ、人の心を鷲みするようなドラマティックな表現が魅力です。三味線は中棹を用い、高音(たかね)と呼ばれる上調子(うわちょうし・高い調子の三味線)が装飾的な旋律をあしらって声を彩ります。2人一組になって花街などを歩きながら演奏する「新内流し」は、花街の風情を象徴する存在としても知られました。

清元節(きよもとぶし)

富本節の浄瑠璃を語っていた初世富本斎宮太夫(とみもといつきだゆう・1727-1802)の門人、 2世富本斎宮太夫が独立して清元延寿太夫(きよもとえんじゅだゆう・1777~1825)を名乗り、1814年に江戸で創始した浄瑠璃です。派手で粋好みの江戸っ子趣味をふんだんに盛り込んだメリハリの効いた表現が特色です。歌舞伎の舞踊音楽としてだけでなく、芝居から切り離して演奏だけを楽しむレパートリーの工夫など、時流にあった試みを加えて親しまれてきました。技巧的・人為的な発声法も印象的で、裏声を効果的に使って甲高い声を聴かせたり、鼻音を用いたりする表現が魅力です。

小唄(こうた)

歌舞伎などの興行の世界とは無縁の室内楽として誕生した三味線音楽。19世紀半ば以降の江戸で、庶民の間で流行していた短い歌詞を三味線にのせて歌う端唄から派生して生まれました。初期の作曲者としては、歌舞伎舞踊の音楽として知られる清元節の2世清元延寿太夫(きよもとえんじゅだゆう)の娘、清元お葉(きよもとおよう・1840~1901)が有名です。

小さな室内空間で弾き歌いを楽しむ歌曲として発達したため、撥ではなく指の爪で糸をはじく演奏スタイル(爪弾・つめびき)が定着。唄も強く張らずに独り言を呟くような発声が持ち味で、一曲あたりの演奏時間は1分半から3分程度。凝縮した歌詞の中に、季節感やしっとりとした情感が込められて、江戸の粋を表現します。三味線は中棹を用い、基本の演奏形態は唄と糸が各一人ずつが標準です。他の邦楽ジャンルに取材した作品をはじめ、今日でも時代に即した歌詞の工夫も行われて、多彩な進化を遂げています。

古曲(こきょく)

20世紀の初め頃、演奏機会や伝承者が極端に少なくなってしまった4種の三味線音楽(一中節・河東節・宮薗節・荻江節)を便宜的に総称する語として用いられ始めました。一人の演奏者が2つ以上の専門家を兼ねるケースが多いのも特色です。以下、それぞれのジャンルについて簡単に説明します。

□河東節(かとうぶし)

江戸半太夫(えどはんだゆう)の門人だった江戸太夫河東(えどたゆうかとう、十寸見河東(ますみかとう)とも。1684~1725)が、1717年に江戸で創始した浄瑠璃。江戸前の気風の良さと上品さが魅力です。当初は歌舞伎にも出演していましたが、やがて吉原などで座敷浄瑠璃(ざしきじょうるり=お座敷などで楽しむ語り物音楽)として行われるようになり、今日に至ります。歌舞伎には、市川団十郎家が演じる「助六所縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」に限って出勤する習わしになっています。

 

□一中節(いっちゅうぶし)

義太夫節と同じ頃に、京都の初世都太夫一中(みやこだゆういっちゅう・1650~1724)が創始した浄瑠璃。上方を中心に歌舞伎に出演していましたが、やがて江戸へ下り、1715年に江戸市村座で「お夏笠物狂(おなつかさものぐるい)」を語って人気を博しました。その後、一中自身は上方へ戻りましたが、江戸に残った門人たちが歌舞伎に出演し、江戸にも定着することになりました。上方生まれの柔らかい味わいが特色で、今日では専ら室内音楽として行われています。

 

□宮薗節(みやぞのぶし)

享保年間(1716~35)の末頃に、宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の上方時代の門人、初世宮古路薗八(みやこじそのはち)が京都で創始した浄瑠璃。宮薗の名は、2世薗八(?~1785)が1762年に宮薗豊前(みやぞのぶぜん)と改めたことに始まります。その後、豊前から鸞鳳軒(らんぽうけん)と改名。美声で知られ、作詞・作曲に才能を発揮したと伝えられますが、京都では廃れ、江戸に下った門人が吉原を中心に普及させたことから江戸で命脈を保つことになりました。三味線は類型的な旋律の反復が多く、古風な趣の響きとしめやかな印象の曲調を持ち味としています。

 

□荻江節(おぎえぶし)

18世紀後半に長唄から派生した三味線音楽の一つです。劇場音楽として華やかさや誇張した表現を追求した長唄に対して、狭い室内空間で楽しむために抑制の効いた表現を重視することから生まれました。そのために、「替手」(かえて=装飾的なアレンジ)や「上調子」(うわじょうし=高音域の旋律)を加えて華やかさをアピールするような技巧は控え、「素」(す=音楽本来の美しさを楽しむために必要最小限の編成で演奏するやり方)の唄の良さをしっとりと聞かせる姿勢に特色があります。

箏曲(そうきょく)

箏(こと)の音楽を箏曲といいます。江戸時代初期に八橋検校(やつはしけんぎょう・1614~85)が創始して以来、盲目の音楽家たちが専門的に創作・教習・伝承に関わってきました。器楽曲もありますが、歴史的には箏の弾き歌いによる歌曲が圧倒的に多いのが特色です。しかもその歌詞は高度な文学性を誇ります。恐らく雅楽の箏が寺院音楽を経て近世の音楽となったことと無関係ではなさそうです。江戸時代を通じて、良家の子女の嗜みとして重用され、その雅やかな響きは、時代を超えて日本を代表する音楽として愛され続けています。

一方、関西の目の不自由な音楽家たちの社会を中心に、創作・演奏・伝承が行われた三味線音楽を「地歌(じうた)」といいます。彼らは早くから「箏曲」にも専門的に携わり、両者は密接な関わりを持って発達してきたことから、2つのジャンルをひとまとめにして「箏曲・地歌」などと呼びます。これに尺八楽を加えて、「三曲(さんきょく)」と総称する場合があります。これらの領域はそれぞれに自立した音楽として存在しながら、活発なジャンル間交流を行って、「三曲合奏」(箏・三味線・尺八または胡弓による合奏スタイル)の発達を助長してきました。その過程で、各楽器同士の共演の場の拡大、レパートリーの共有化、新しい表現手段の開拓が促されることになりました。

生田流(いくたりゅう)は八橋検校の孫弟子の生田検校(1656-1715)に始まる系統をいい、関西を中心に地歌と密接に関わり合って発達しました。角張った爪を用い、三味線その他の楽器との合奏に工夫を凝らし、一つ一つの音の微妙な色合いの変化を尊重しながら、華やかな装飾性に富んだ表現法を追求してきました。

山田流(やまだりゅう)箏曲は、18世紀後半の江戸において山田検校(1757-1817)が創始した箏本位の音楽ですが、箏を中心に据えながら、江戸前の三味線の響きもアンサンブルに加えて、当時の江戸人の好みに合った表現法を追求してきました。先端が尖った爪を用いた、力強い安定感のある響きと艶やかで芯のある音色が魅力的です。

尺八(しゃくはち)

尺八は、自然の根竹を切り取って、前に4つ、後ろに1つの孔を開けただけの簡素な縦笛です。1尺8寸(約54㌢)を基準に長短さまざまなものがあります。鎌倉時代に中国から禅僧が伝えたといわれ、江戸時代には普化宗(ふけしゅう)の僧侶(虚無僧・こむそう)が専業としました。天蓋(てんがい)をかぶり尺八を手に托鉢する姿は、江戸風俗の中で異彩を放つ存在でした。彼らにとって尺八吹奏は修行と同義であり、そのために瞑想的・内省的な音楽が生まれました。「禅音楽」の名で、愛好者層は世界中に広がっています。

首を振る、顔を上げ下げする、舌(した)を震わせる・・・多彩な技法を駆使して、複雑で陰影に富んだ表現で個性を発揮します。江戸時代中期に江戸で始まった琴古流(きんこりゅう)と、明治期に大阪で創始された都山流(とざんりゅう)が二大流派として知られます。本来は尺八だけで演奏する曲が主流でしたが、明治以降は箏曲(そうきょく)や地歌(じうた・三味線音楽の一つ)と合奏する機会も増え、さらに現代作曲家の創作や映画音楽、民謡からジャズ等、多様なシーンで活躍しています。

琵琶(びわ)

 琵琶は、シルクロードを介した東西文化交流の軌跡を象徴する存在です。日本には奈良時代に大陸から伝来して以来、雅楽の中の一楽器として用いられたほか、目の不自由な僧体の演奏家たちが琵琶を弾き語る盲僧琵琶も全国展開しました。とくに中世以降は『平家物語』を弾き語りする楽器として発展し、そうした語り物芸能の延長線上に18世紀後半に薩摩琵琶が、明治中期に筑前琵琶が誕生しました。

前者は現在の鹿児島県で生まれた琵琶の音楽で、先端の大きく開いた撥で、桑で作られた胴を叩きつけるように弾奏するスタイルが印象的です。豪壮・男性的な響きの語り物音楽として知られます。後者は現在の北九州地方で発祥したもので三味線音楽の長所を取り入れています。筑前琵琶の胴の表は桐材製で、撥も薩摩琵琶よりも小ぶりで、柔らかく優美な女性的な表現が持ち味です。

いずれも武士道精神や教訓譚的なストーリーを描くものが多く、長大なドラマを語る声を琵琶が効果的に彩ります。今日では現代的な創作の世界において、個性的な魅力を発揮するシーンも増えています。